トランキーロな日常

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これぞ波乱万丈~千葉ロッテ古谷拓哉の経歴

   

先発・中継ぎ両方OK!貴重なベテラン左腕

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千葉ロッテマリーンズの古谷拓哉投手はプロ11年目の35歳。
社会人野球の日本通運からドラフト5位でロッテに入団し、
2012年までは中継ぎとして、2013年からは先発投手として活躍しています。
平均球速は140km弱ながら、スライダー、チェンジアップを武器に
コーナーを巧みに突く投球が持ち味です。
昨年はわずか3勝止まりだっただけに今季の復活が期待されます。

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甲子園に出場も一度は野球の道を外れる

古谷投手を語る上で外せないのが、
偶然にも左右されながら歩んできた異色の経歴です。
北海道出身の古谷投手は、駒大岩見沢高校時代の98年夏の甲子園、
99年春の選抜甲子園にエース投手として出場しました。
98年大会では、一学年上で横浜高校のスーパースターだった
松坂大輔と記念写真を撮ったそうです。

しかし、最後の甲子園を賭けた北海道予選の決勝戦で、
自ら投じたカーブが暴投となり、0-1のサヨナラ負けを喫します。
古谷投手はこの試合で燃え尽きてしまい、
以後野球へ積極的に関わらなくなります。

千葉ロッテマリーンズ 古谷拓哉 駒大岩見沢高校時代

学業も優秀だった古谷投手は、
学校で1つしか無かった指定校推薦で駒澤大学に入学しました。
しかし、野球部には入部せず
週1回程度活動する軟式野球サークルに入ります。

入学当初スポーツ刈りだった髪も金髪に染め
焼き肉店でのバイトの傍ら、深夜まで遊んで
朝に帰るような不摂生な生活にすっかり溶け込んでしまっていました。

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運命を変えた松坂大輔、ボビー・バレンタインとの出会い

そんな緊張感の無い生活をしていた
古谷投手に転機が訪れたのは、大学1年の夏。
6畳ワンルームの暗い部屋でたまたま中継を見ていた
シドニーオリンピックの野球の試合でした。

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野球競技は初めてプロ野球選手が出場し、
日本代表のエースには2年前の甲子園で一緒に写真を撮った憧れの人、
松坂大輔投手がいたのです。
国際舞台で真剣勝負を繰り広げる松坂投手に比べ
かたやアパートの1室で虚しい生活を送る自分が許せなくなりました。

「野球をしたい。どうなるか分からないけど、もう一度真剣に向き合いたい」

ブラウン管越しの松坂投手から野球への情熱を取り戻した古谷投手は、
大学野球の名門 駒澤大学野球部の門を叩きます。
途中入部という無謀さに周囲は驚きましたが、
付属高出身で左腕ということもあり、何とか入部にこぎつけました。

結局のところ、大学野球では通算1勝7敗と芽が出ず、
大学4年時には野球ではなく就職の道も考えたそうです。
しかし、大学4年春に日本通運との練習試合で好投したのが
相手スカウトに目に留まり、社会人野球の道に進みます。

ところが、ここでも芽が出ず控え投手に甘んじてしまっていました。
もはやプロへの道は閉ざされているようにも思われましたが、
運命の女神はまたして古谷投手を次のステージへと導きます。

都市対抗の試合、打ち込まれたエースの敗戦処理として登板した古谷投手。
この試合で5回を1安打に抑えたのですが、
そのピッチングがたまたま視察に来ていた
千葉ロッテ ボビー・バレンタイン監督の目に留まったのです。

控え投手ながらドラフト5位でプロへの扉を開き、
7年間リリーフ投手を務めた後、2013年に先発として9勝を挙げて開花しました。

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一歩間違えれば野球の道を外れていたかもしれませんが、
遠回りながらも泥臭くプレーしてきた古谷投手。

かつての松坂投手のように、今は古谷投手が
その背中で若者に刺激を与える存在になっているのだと思います。

     
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