独走!広島カープ25年ぶり優勝へ!!200勝黒田!によって再注目される広島の歴史。
2016/07/15
広島カープ25年ぶり優勝へ爆進中
優勝するなら今年しかないと思われた
2015年。エース前田健太投手、
メジャー帰りの黒田投手、抑えの中崎投手。
ホームランキングエルドレッド選手、
広島に復帰した新井選手とコマがそろい
若手とベテランのバランスも良く
黒田選手が引退する前に、前田投手が
メジャー移籍する前にと機運が高まったが
結果は3年ぶりのBクラスとなってしまった。
そして、前田健太投手がポスティングシステムを利用し
メジャーへ移籍。また、優勝は遠のいたと思われた
2016年に、首位を爆走する広島カープがあった。
球団創設当時は貧乏球団だった広島カープ。
球団創設時ははっきりとした親会社がいない
市民球団として発足し、選手への給料の滞納は
日常茶飯事。球団を維持していくのだけで精一杯の状態だった。
お金がなくチームも弱かった為
連盟からは当時下関に本拠地を置いていた大洋(現DeNA)と
合併するように再三忠告をされていた。
しかし、当時の石本監督は「お金がないなら作ろう」と
自ら街に出て募金活動を率先して行い、
「樽募金」という活動をし、
徐々に寄付が増えてきて何とか球団を維持し
さらには、広島総合野球場の建設までにもこぎつけた。
球場ができてからは地道な活動で培ってきた
熱烈なファンと共に球団が活動し
収入も安定。
その後、広島が地元の東洋工業が親会社となり
「広島東洋カープ」として市民球団としての
基本は崩さず口を出さない親会社として
球団を支えていった。
1975年赤ヘルの初年度に優勝
1975年より、今では定番の赤いヘルメットを着用し
初優勝へと阪神、中日と三つ巴の接戦を展開。
見事初のリーグ優勝を飾り広島は熱気に包まれた。
ここから広島黄金時代が到来する。
俊足高橋慶、スイッチの正田
ミスター赤ヘル山本浩二、
世界の衣笠、豪快水谷
精密機械北別府、
火の玉津田、剛球左腕大野を中心に
移籍組の奇跡の21球江夏、
日ハムのエース高橋直
左の大打者加藤英
と時代を支えた。
しかし、ミスター赤ヘル山本浩二選手と
連続試合出場記録を持っていた衣笠さんの
中心の2人が引退すると
暗黒の低迷時期を迎えてしまう。
日本一の新球場とともに黒田の復活で活気が
低迷時期でも熱烈なファンが球団を応援し
日本一とも言われるメジャーの球場を思わせる
青空の元、天然芝で野球ができる新球場が誕生。
新球場の誕生により交通の不便さが解消し
ファンが一気に拡大。
今では他の球場でも赤一色に埋め尽くされてしまい
「カープ女子」という流行語も誕生し
選手もやる気に満ちてきた。
そして、待望のメジャーリーガー黒田投手の復活。
200勝目前で今年の優勝まで期待が持てる位置にいる。
黒田投手の200勝は広島としては北別府投手以来の快挙。
この爆走中の状況なか再注目されているのが
広島創設時に元祖ミスター赤ヘルだった長谷川良平投手。
まだ、球団自体弱く戦力も整わない時代に
中心選手として広島を支え通算勝利数は197勝。
後に、広島の監督としても活躍。
球団が違えば200勝という記録もできたかもしれないが
地元の中日への移籍も決まったのにもかかわらず
貧乏球団に残留し、広島の創設時を支えた悲運のエース。
彼らの活躍によって現在の広島カープがある。
このまま突っ走って25年ぶりの優勝を期待します。